館長、最後の日 ― この光は、誰かへと手渡されていく

映画『館長、最後の日』メインビジュアル(チラシ表)

第27回東京フィルメックス特別招待部門正式招待作品

1月9日(土)ポレポレ東中野、1月17日(日)深谷シネマほか全国順次公開

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INTRODUCTION

「みんなの映画館」をつくった。
そして、自分が去る日も決めた。

入江悠監督、初のドキュメンタリー。
街の映画館・深谷シネマをゼロからつくった館長が引退する。“みんなの居場所”に波紋が広がっていく。

埼玉県深谷市の小さな映画館、深谷シネマ。

ゼロから場所をつくり、育ててきた館長・竹石研二(76才)が、引退を決意した。深谷で育った映画監督・入江悠は、その知らせを聞き、みずからカメラを持って、館長が去るまでの日々を撮りはじめる。カメラが写したのは、ただの“映画館の館長”の姿ではなかった。

場面写真
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竹石館長は、映写室で筋トレをし、お客さんとランチを食べ、劇場の外へ上映活動に出かけ、地元のひとと酒を呑み交わす。深谷シネマには雑談をするだけのひとも来る。竹石館長がいなくなっても、“みんなの居場所”は引き継がれるのか?

入江悠監督が初ドキュメンタリーで見つめるのは、ひとりのひとがつくった“居場所”と、そこに集うひとびとの、これから。

ナレーションなし、テロップなし、音楽なし


ユーモア溢れる“引き継ぎ”ドキュメンタリー誕生!

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COMMENT
入江悠

入江悠
監督

DIRECTOR'S COMMENT

子どもの頃、学童保育でよく映画を観せてくれた映写オジサンがいて、それが竹石研二さんでした。
わたしは6才で、竹石さんは37才でした、

やがて、わたしは映画監督を志し、竹石さんは地元に映画館「深谷シネマ」を作りました。
わたしは20才で、竹石さんは51才でした、

わたしが京都で時代劇を撮って地元に帰ると、竹石さんが館長を引退するとききました。
わたしは45才で、竹石さんは76才になっていました。

竹石さんが働く最後の日々を記録したいと思い、カメラで撮りつづけました。
そして、気づきました。
竹石さんはずっと「みんなの居場所」を作ってたんだ、と。

あなたの町にも、竹石さんみたいなひとがいるでしょうか?

――入江悠(監督)

竹石研二

竹石研二
深谷シネマ元館長

町工場のオジサンが毎朝、工場のカギを開けるように、ボクは「深谷シネマ」のドアーを開ける。

ある朝「シネマ」に着くと、カメラを持った入江監督がいた。
「あれっ、何してんですか?」とボク。
「館長を撮るんですよ!」と入江監督。

その後、行く先々で監督のカメラと出会った。
そして数か月が経ったある日、「映画できましたよ!」と告げられた。

恐る恐る観てみると、淡々とした日々の自分の姿の恥じらいを通り越して、「映画館」に集う人たちの日常と愉しみが愛おしく映っていた。

入江監督、ありがとう!

――竹石研二(深谷シネマ元館長)

CAST & STAFF

CAST|出演

竹石研二
深谷シネマの皆さん
塚本晋也 塚尾桜雅 駒木根隆介

STAFF|スタッフ

監督・撮影・録音・編集・プロデュース・配給:入江悠
整音:山本タカアキ グレーディング:野口健司 スチール:根矢涼香
製作・配給:BROCCO FILMS

第27回東京フィルメックス 特別招待部門 正式招待作品

©BROCCO FILMS

PROFILE|竹石研二(深谷シネマ元館長)

1948年、東京都墨田区生まれ。今村昌平が創立した横浜映画専門学校の1期生。日活児童映画など、さまざまな職を経たのち、深谷市に移住。50才のときに「街に映画館を作ろう」と決意。深谷シネマを市民とともに創りあげる。

PROFILE|入江悠監督

1979年生まれ。映画『SR サイタマノラッパー』(09)が大きな話題を呼び、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター・コンペティション部門グランプリ、第50回日本映画監督協会新人賞など多数受賞。『AI崩壊』(20)で日本映画批評家大賞脚本賞。『あんのこと』(24)で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、優秀脚本賞など受賞。他に『22年目の告白 私が殺人犯です』『ビジランテ』など。最新作は初ドキュメンタリー『館長、最後の日』(27)、NETFLIXドラマ「フジヤマBOY」(27)。

THEATERS

2027年初頭 全国ミニシアターで公開予定

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